陽も昇りきらないような朝。
窓を開けると、既に駅に向かって人だかりができている。
ただのエキストラのように見える彼らも、かつては主役として、夢を語ったのだろう。
その中で、本当に主役になれた人はどれだけいるのだろうか、また、私は夢を叶えられるのだろうか。
 夢は哲学者。というと、驚かれないことの方が少ない。否定的な反応をされることもしばしばだ。
それでも私は、この夢を叶えなければならないとさえ思っている。
 そのきっかけは、私の生い立ちにある。
私は5つの障害を持つ障害者で、程度の差はあれ差別を受けることは多々あった。
しかし、家族や周りの人の厚い支援のおかげで、社会に適応できている。
 だからこそ私は、かつての私と同じようにどうにもならぬ要因によってあらぬ苦労をしている人たちを助けたい。
 とはいえ、ハンデのある人たちを本当の意味で助けるには、内側からの教育だけではなく、外側からの差別をなくさなければならない。
そのためには、まずは差別とは何かを研究し、そして本当の「正義とは何か」を追究する必要がある。
 そこで調べているうち、ジョン・ロールズという哲学者の『正義論』と出会った。
彼の語る社会の正義とは、『生来の巡り合わせや格差を極限まで低減する社会』というものであり、深く感銘を受けた。
そうして私は、私の思う正義を追い求め、哲学者を強く志すようになった。
 しかし、哲学者という職業を調べていくうちに、仮になれたとしても、その人生は簡単なものではないことも知った。
 基本的には大学や高校の教員としての収入によって生活を営んでいくのだが、殊に若いうちは、かなり切り詰めて生きていくしかない場合が殆どだ。
 さらに、哲学の研究には、企業や政府からの支援を受けられないことも多い。資本の形成につながるものが少ないからだ。
安定した収入を得られるようになっても、研究費は自腹、ということも珍しくないのだ。
 そして苦労して功績を上げても、華やかではない哲学の世間からのイメージは良くない。ノーベル賞でも獲らない限り、基本的にただただ無関心が待ち受けている。
 それでも私が妥協せずに哲学者を目指すのは、中学2年生の時のアイルランド留学の経験がある。
出会った現地の方々は、異国の中学生である私を、本当の家族のように暖かく迎えてくださった。
学校からの帰路で迷子になってしまっても、3時間以上も家族総出で捜し、俯く私を笑って許してくれた。
 帰国後、SNSなどを通し積極的に、インド人やイラク人、ロシア人など、たくさんの国の方々と話し、食事を共にした。
 そこで私は確信した。言語も宗教も違う人々でも、互いを想い、手を取り合えると。
自らの障害とも向き合いつつ、差別を撲滅し、正義を追究するという私の夢は、絶対に成し遂げねばならない使命なのだ。
 そして哲学とは、多くは先達の書を参考にし、色々な人と対話することによって発展していく。
そこで、「サステナビリティファースト」を謳うある会社のサミットに参加した。
現代に問題意識を持つ18歳以下の若者が、どうすれば会社や地球がもっとサステナブルであれるかを協議するものだ。
 持続可能性の追求、というものは、一見私の目的とは違う形にも見えるが、ハンディキャップのある人もない人も支え合って生きられる社会を目指すという点において、深く関連している。
有為の若い人たちと刺激し合い、自分だけでなく社会の未来にもつなげていく。
 世界の人々が互いを尊重し、正確さとは違う『正しさ』を追究するためには、世界を見つめ正解なき問いに「答え」を与える哲学が、きっと大きな支えになる。
私にはまだ、何が正義かはわからない。正義というものが正しいのかすら、定かではない。
だからこそ、追究する価値があると考える。
 誰もやらないならば、私がやる。
雑踏にはのまれず、世界中が手を繋いだ日に見る朝焼けは、本当に綺麗だろうから。

※この作品は、第22回高校生小論文コンクール『今こそ大志を語れ』応募作品です。

希望を語っているのはそのせいです。