「最悪の一日」というものを経験したことがあるだろうか。
英語では“the day from hell”と表現される、それだ。
体調は思わしくなく、足元はおぼつかず、行動すべてが裏目に出る。
冷え切った周りの目線、存在しない理解者に愚痴をこぼす脳内。

細かい日付まで思い出せなくてもいい。
誰しも「これはもう二度と経験したくない一日だった」というものはあるだろう。
それでも『どん底まで落ちればあとは上がっていくだけ』という言葉にあるように、そんな日はそう連続したりはしない。
すべては帰納的確率論のもとに、たまたま思いつく限りの最悪な一日が、その日限定で顕現しただけだ。
そう考えると、むしろ運がいいともいえるのかもしれない。

しかし、そんな日が毎日続くとするとどうだろうか。
思い出すだけでも億劫なその日が、文字通り毎日続く。
望んでもいないのに苦行をさせられるような日々に、第三者であるあなたは目を背けずにいられるだろうか。
あるいは当事者であるとすれば、陳腐な質問だがあなたは堪えられるだろうか。

目を覚ますと、覚えのない場所で寝転がっている。
家族が言うには、昨夜は何度連れ戻しても自分の寝室を抜け出してそこに来たのだという。
筋肉に力が入らない。頭が痛い。吐き気がする。意識が途切れ途切れになり、立ち上がりでもすれば視界が真っ暗になる。

それでも熱はない。味覚障害もない。ということは、学校に行かねばならない。なぜならそれは『気持ちの問題』であるから。

そこからはあまり覚えていないが、おそらく中学のころから乗り回している自転車にまたがったのだろう。
なぜなら、自転車に乗らなければ自転車から転げ落ちる事故は起こさないであろうからだ。

学校が目の前に迫って、気が抜けたのだろうか。
私は、何かに引っ掛かったのを感じた次の瞬間、背中にアスファルトの冷たい感触を覚えた。
ああ、そうか。私は事故を起こしたのか。
満足げに脳内でつぶやくと、ゆっくりと意識が薄れていくのが分かった。
上の方から、通行人であろう女性の悲鳴が聞こえていたと思う。

意識が戻ると、背中に感じるものはアスファルトより柔らかいものだったと思う。
違和感を覚え、右腕を少し動かしてみる。
すると、遠いところで歓声が聞こえた。
なんだと思いながら右腕を見ると、針が刺さっている。点滴だ。

歓声はどうやら私の回復を喜ぶものであったらしい。
やけに優しい医師と看護師が、うんぬんかんぬんと教えてくれた。
どうやらここは救命救急センターというものらしい。
見ると、目の前で外科手術が行われている。こんな環境でいいのかよ。

全身の筋肉が私のものでないように力が入らなかったが、支えられてもなお歩けないほどではなかった。
とりあえず私は生きていたらしいので、迎えに来た母親と病院を後にする。
意識は未だはっきりしていなかったが、礼はきちんと述べたのでたぶんこれでいいのだろう。
車に乗ると安心して、また視界が暗くなる。徐々に感じる世界が狭くなっていくのを感じた。

そこからはまた、よく覚えていない。
次意識が戻ると、今度は学校にいた。気温や人々の対応の内容から、たぶん事故の翌日だろうか。
事故の際、自転車は学校に引き取ってもらったはずなので、私は歩いて学校に来たらしい。
とりあえず、事故の対応に当たってくれたという学年主任と生徒指導部長の教師に深く礼を述べる。

いつもは理不尽なことばかり言ってくる二人が、孫を見るような優しい目をしていたのが気味悪かった。
いわく、「生きていて本当に良かった」とのこと。それはどうも。どうやら日本という国は、社会のお荷物のような人間でも生きていると喜ばれるらしい。おいでよ日本。

教室に行くと、三時間目の授業が始まっていた。
おそらく今日教室に入るのはこれが初めてなので、私の推定起床時刻は午前十時すぎ、移動手段はやはり徒歩でここへ来たのか。

「遅れてすみません」だか「おはようございます」だか、それに準ずる言葉を言った気がする。
それなりに仲のいい古典教師が、目の色を変えて私を心配する言葉をかけてきた。
いつもは辛辣な言葉ばかりかけてくる隣の席の友達が、なぜか優しい口調で私を気遣ってきた。
授業中なんだから、勉強に集中すればいいのに。
次の時間の数学には、再び意識を失った。
会社には迷惑をかけることになるな……そんなことを思いながら。

次目を覚ました時には、もう日付も時刻もわからなかった。
もしかしたら、「昨夜はどれだけ言っても聞かずに寝室で寝なかった」というのは、この日のことだったのかもしれない。
何しろ、この日も覚えのない場所で寝転がっていたのだから。

もはやいつも通りというべきか、案の定お身体様が願いをお聞きになってくださらない。
熱無し。味覚障害無し。意識無し。その他諸々は置いておいて、今日も学校を目指す旅に出る。
自転車はというと、担任が血相を変えて「今回は本当に死ななくてよかった。今自転車に乗って事故で死なれると困るから、自転車は学校で、鍵は私が預かっておく」と言ってきたため、私の手の届くところにはなかった。と、ガレージに私の自転車がないのを見て、こんなところだろうかと推理してみた。

しかし、そんなことをして意味があったのだろうか。
学校へ向かう足取りは、いつ車や自転車に轢かれてもおかしくないものであったのではなかろうか。
残念ながら、というかもはや当然のごとく覚えていないが、校門前で「おい、大丈夫か!」と見知らぬ教師に声をかけられ、そのまま保健室に連行された(らしい)くらいだったのだから。

保健室ではベッドが使えないので、代わりにカウチに寝転がったと思う。
また意識が闇に落ちる前、担任が何か私に話しかけているのが見えた。
事故の日のこと、三時間目に登校したあの日のこと、そしてこの日も保健室登校になってしまったことを考えると、「出席日数の問題で進級できるか危ういぞ」という内容かもしれない。

いずれにせよ、そこから私は寝がえり一つ打たずに昏睡状態に落ちた。
なぜ寝返りを打っていないかわかるかというと、私が寝転がっていたカウチは横幅が狭く、満足に身を預けられないくらいの大きさだったからだ。もし寝返りを打って落ちようものなら、起きるか、養護教諭がカウチに私の体を再び戻しただろう。

しかし気が付くと、今度は寝返りを打てる場所にいた。家の寝室のベッドだ。
母は今週から役所で働き、私を迎えには来られない状況にある。すると、夕勤である父親が迎えに来たのだろうか。
そう考えていると、部屋に母親が入ってきた。すると、あれから何日たったかははっきりとしないが、今は夕方か夜か。どんな話をしたかは覚えていない。

その後、どうやら私が起きたのは午後六時三十八分よりは前であることがはっきりした。
日付はわからないので、何日間寝たきりでいたのかはわからないが、私自身がSNSに『朝からほぼ意識なくてやっと起きられた』と投稿していたのを確認したからだ。
『朝から』という言葉から投稿が始まっているのを見ると、この『朝』は私が保健室に直行した朝であることは間違いないだろう。ただし、私自身は日付を管理できる状態になかったので、『朝』から何日間寝たきりでいたのかは未だ特定できない。

ひとしきり記憶を整理すると、はっきり覚えているから「こうだ」と言える記憶がほとんどないことに気づく。
ただ客観的事実と断片的記憶から類推して、「おそらくこうだったのだろう」と欠落を埋めるようにパズルをしていたにすぎない。

普通、数日間の記憶を掘り起こすのにここまで苦労するものであろうか。
一週間分であるはずの記憶が、数時間分程度の容量しか持たないのだ。残りは、痕跡から予想するしかない。
しかし、人間というものは生きている状態から死んでいる状態でシフトすると、基本的にはもう一度生きている状態へ戻ることはない。
となると、記憶や意識がないときも私は確かに生きていたのであり、私の持つ解離性障害が顔を出したに過ぎないのであろう。

先ほどから何度か、『自分の身体がそうでないかのように言うことを聞かない』旨を記した。
私の言うことを聞かない筋肉は腕や足のみとばかり思っていたが、どうやら表情筋までもが裏切ったらしい。
別に泣きたいなどとは思っていないのに、不思議と涙が流れる。

自分のことを「惨めだ」とは思いたくない。
それは私の救いたい精神障害者や発達障害者が「惨めである」と判断し、彼ら彼女らを否定することにもつながるからだ。
だからこそ、その『彼ら彼女ら』の最もたる存在である自分自身のことを、惨めだなんて絶対に認めたくない。

こんな私にも、夢というものがある。
LGBTQ+、発達障害者、各国の少数部族……
そのようなただのステータスに過ぎないもので差別されることがなく、すべての人が手を取り合い、一人一人が「その人個人という名のマイノリティ」として判断される、いわば「マジョリティのない世界」を実現することだ。

心に五つもの障害を持ちながら、たくさんの人々の支援や心遣いによって社会で活躍できるようになった私にとって、これは絶対に譲れないしどれだけ意識や記憶なんぞを失おうとも掠れることはない夢だ。

しかし、私は不覚にも泣いた。
自分の現状を惨めだと思った。
それを変えようと思い立つより先に、辛くて辛くて心が折れてしまった私がいた。

この随筆では、あえて私がここまでの状態になった原因は記していない。
なぜなら、その原因というのも私の主観に過ぎず、記憶すら曖昧な男の主観など、載せても根拠も価値もない誹謗中傷に終始してしまうと判断したからだ。
そんなことは私は望んでいない。ただ、私にとって日々がどんなものであるかに焦点を当てたかった。

「最悪の一日」というものを経験したことがあるだろうか。
英語では“the day from hell”と表現される、それだ。
体調は思わしくなく、足元はおぼつかず、行動すべてが裏目に出る。
冷え切った周りの目線、存在しない理解者に愚痴をこぼす脳内。

そんな最悪な日が、毎日続いたとしたら。
正気でいられないような出来事が、ことあるごとに起こったとしたら。
“the day from hell”が、“the days from hell”だったとしたら。

私に、信念を裏切る一筋の涙を流すことは、許されるだろうか。