流れる水も凍るような寒空の下、身体を抱いて缶コーヒーを啜る。
流水腐らず、戸枢樓せずとはよく言ったものだが、どうやら流水のほうには腐らずとも寒さという天敵があったらしい。

そんなことを考えながら歩いていると、信号のない横断歩道に差し掛かった。
警備員さんが誘導をし、車を停めて通らせてくれる。
彼はそのまま私を渡し、停まってくれた乗用車に深く一礼した。

自然と、「ありがとうございます」の一言が出る。
この横断歩道は急な坂道の上にあり、立っているだけでも辛いものがある。なお、私の運動不足は考えないものとする。
寒波に負けず、その横断歩道で何度も人を渡すために往復し、停まってくれた車にまで腰を折っていては、疲労は相当なものなのではないだろうか。
加えて、信号のない横断歩道では違反や不快なことも多々あるだろう。

しかし、警備員さんの動きは見事なものだった。
さも当然という顔をして、一連の行動から私の言葉に微笑みで返すまで全く疲れを感じさせなかった。

そのとき、私の頭から『職業に貴賎なし』という金言が自然と頭に浮かんできた。

職業に貴賎なし。これは江戸時代に石田梅岩という思想家が遺した言葉だ。
当時、『貴穀賎商』と言って、商人の人々は差別されていた。
なんでも「農民は穀物を生み出すので貴い(貴穀)、商人は金銭のやりとりだけで成り上がっているのでずるい、商人にはなるな(賎商)」だそうだ。

これだけ聞くと、現代人の感覚からするとまあまあ意味不明だが、要は儲かるからと農民に商人へ転職され、自分たちが食えなくなってしまうのを危惧した武士たちの欺瞞、とすれば説明はつく。

そんな中で、町人出身であったこともあったのだろう、梅岩はこう主張したのだ。
『職人が道具を作り、農民が生産し、商人が流通させ、武士が治める。ひとつも下劣な職業などない』と。

その一言で職業差別はなくなった……という綺麗なお話ではないのだが、それでも現代にも活きる名言ではないかと思う。

長々とした前座はご愛嬌。題の話をしよう。
私は、『ビル・ゲイツと街の警備員、どちらが凄いか』と問われれば、「どちらも同じくらい凄い」と非生産的な答えを返すだろう。

もちろん、社会に与えた影響で言えば間違いなくビル・ゲイツ氏に旗が上がる。
おそらく、彼のほうが多くの人を笑顔にし、また成功にも導いたのだろう。

しかし、間違いなく今日出会った警備員さんは、私という一人の人間を安全かつ丁寧に向こう岸まで渡し、笑顔にしてくれた。
もしあの横断歩道に警備員が配置されていなければ、その警備員が彼でなければ、私の心がここまで揺さぶられることはなかっただろう。
それどころか、事故に遭っていた可能性さえあるのだ。
ちなみに、私はここ4年で5回交通事故に遭っている。おみくじは大吉なのに……

日々私たちが何気なく生活できているのは、何も気にしなくてよいようたくさんの人たちが働いてくれているからだ。
ビル・ゲイツ氏がいなければMicrosoftが存在しなかったように、鳶職や土工の方が存在しなければ、私たちは家の中で眠ることも、安全に道を歩くことすらできない。

それは当たり前のことであり、そうあるべきなのだが、本当に心からそう思えている人はどれだけいるだろうか。
「そうは言っても、給料がいいから」と、そういう人々を無意識のうちに差別してエリートコースを目指す今の世の中は、本当に正しい方向を向いているのだろうか。

現在の子供たち、Z世代やα世代と呼ばれる人たちは、うち65%がいま存在しない仕事に就くと言われている。
こんな時だからこそ、『職業に貴賎なし』という言葉を強く意識し、感謝を忘れてはならないと私は考える。

横断歩道を渡り終え、缶コーヒーをもう一口啜って空を見る。
今日も世界は、誰かの仕事でできている。