ひとつ告白をしよう。
私は高校受験という制度が、どうしようもなく嫌いだ。
決して、高校受験生ないしは高校受験をした人が嫌いというわけではない。
ただ重篤な欠陥を持ち、まともに機能していない高校受験の制度が、どうしても好きになれないのだ。

『内申点』。私が思うに、これがすべての元凶のように思える。簡単に言えば、普段の生活態度や課外活動の実績、提出物や副教科の成績など、主要5教科の成績以外の面を評価するシステムだ。地域によって違う可能性はあるが、私の地域では総評価の5割という、かなり重い比重を占めている。

いわゆる『勉強ができない』生徒たちを救済する意味があるそうだが、そうしようとすることが一番の問題ではないだろうか。

例えば、実力が50あれば入れる高校があったとする。
しかし、内申点の制度によって、「実力は30だが副教科や部活を頑張って50に達した」生徒や、「実力は70あるのに提出状況が悪かったり遅刻が多く、50とみなされてしまう」生徒も一律に50となり、この高校へ入学することになる。

果たして、そのような生徒たちが混在する学校で、50のレベルの授業を行っても、なんの問題も格差も生まれず進行するだろうか?
私にはそうは思えない。

この内申点という制度の欠点はこれだけにはとどまらない。
先ほど示したように、『実力は30でも副教科や活動を頑張れば50の学校に入れる』わけだから、真面目にやる気はないが、あくまで内申点を上げる目的で部活へ参加する生徒は、どうしても出てきてしまう。

そもそも課外活動とは、『スポーツや文化,学問等に興味と関心をもつ同好の生徒が,教職員の指導の下に,主に放課後などにおいて自発的・自主的に活動するもの』と定義されている。

本気でその活動をやりたくて部活に入った人が多いだろうに、内申点目的の生徒が入ってきてしまうと、温度差から部内の空気が悪くなることがどうしても発生してしまう。実際、私の知り合いに中学時代卓球に打ち込んでいたものがいるが、そうした生徒の存在が邪魔で仕方がない、と話していた。

しかし、このようなことが起こってしまうのは、きっと生徒が悪いのではない。
高校受験の制度そのものが、そうならざるを得ないような欠陥を含んでいることが問題だと私は考える。

いま教育のトップに立っているのがどんな犬種の犬なのかは私の知るところではない。ちなみに私は柴犬とコーギーが特に好きだが、国家の狗は好まない。

しかし、よりよき人材育成のためには、大学受験を改革するより先に、この、人を選ぶ気があるのかすら疑わしい高校受験のシステムを改善する必要があるのではなかろうか。

長くなってしまったが、以上が私の告白である。