みなさん、『私って存在するのかな?』と不安になることってないですか?
僕は3分に一回の割合であります。

あ、失礼しました。こにーでと申します。

自分は本当に存在するのか。
ただ生きているだけではなかなか抱くことのない疑問ですが、400年ほど前。
ルネ・デカルトという哲学者が実際にこの疑問を持ち、最終的にみごと『私は存在する』と結論付けたそうです。そりゃそうなんですけど。


まず、どういう経緯でこんな疑問に行きついたのかを説明しましょう。
で、このデカルトとかいう人、結構やばい奴なんですよ。

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ルネ・デカルト(1596~1650)

フランス生まれの哲学者・数学者。
哲学へ数学の考え方を持ち込み、神など見えざるものへの信仰ではなく、理性と論理によって真理を追究することをはじめたことから、『近代哲学の父』と呼ばれる。
現在数学でよく用いられる、座標(直交座標系)の概念を考え出すなど、数学の分野での貢献も大きい。


実はこの人、18歳までに数学論理学自然学などのほかに魔術占星術まで学び、大学では法学医学を修めているとかいう学問の全部盛りを体現しているんです。やばいですね。

そんでもって、この世のありとあらゆる学問を学びつくしたうえで、『でも今まで学んできたことって、絶対正しいとは言い切れんことばっかりだしなあ』とか言って全否定するんです。何考えてるんですかね。

といいますのは、彼が生きた時代というのは、キリスト教の訓えや聖書にないことを主張すると「異端審問」に問われ、最悪の場合火あぶりになる、というまあまあクレイジーな時代だったんですね。 天動説とかが当たり前に信じられていた時代です。 そんな時代の哲学ですので、キリスト教。特にカトリックの影響を色濃く受けていて、「哲学は神学の予備学にすぎない」とまで言われていたんです。神学というのは、信仰を前提として神やこの世界に対して考察を行う学問ですね。

しかし、当時信じられていたキリスト教の考えというのは、矛盾や解釈次第でどうとでもなることも多かったのです。
そんな教えがすべての主軸にあったので、デカルトはこう考えるようになったのです。

『信仰のように不確実で人それぞれのものではなく、もっと誰からも否定しようのない事実をもとにして考えれば、この世のことを確実に知られるのではないか?』と。
ややこしいのでたとえを用いて説明しますね。

『犬は可愛い』という考えが一般的に流布されていたとします。
すると、『犬はかわいいので、犬といると癒される』という論理が成り立ちます。
『犬といると癒される』のなら、『疲れた時は犬と過ごすのが効果的だ』とつなげることができますよね。
こんなふうに、ある考えを主軸にして、文脈をつなぐように世界のありようを推測することができるんです。
これはデカルトが大好きな数学の考え方をもとにしています。

しかし、根本にある『犬は可愛い』という考えが間違っていたのなら、その後に繋がる『癒される』『疲れたら犬と過ごすべき』という推測は芋づる式に間違っている、と結論付けざるを得ないことになります。
実際、犬が嫌いな人からすれば、疲れているのに犬と過ごすのは癒しというより拷問ですからね。

当時その主軸にあったのは、細かい矛盾や解釈違いの余地をはらんだカトリックの教え。
『もっと疑いようがなくて、誰にとっても同じことを根っこにおけないのか?』
彼は考えます。


その『誰にとっても再現性があり、絶対に疑いの余地のない事実』を探すため、デカルトは次のような方法を考案しました。

1.少しでも疑いのあるものは、すべて偽とみなす。
2.考える問題をできるだけ小さなものに分ける。
3.単純な事実を示したうえで、組み合わせて複雑な事実を示す。
4.何も見落とさなかったか、全てを見直す。

この方法、どこかで見覚えありませんか?
実はこれ、
数学の証明の仕方なんですよね。
例えば直角三角形の合同を示すとき、
『斜辺がそれぞれ等しい』『ひとつの鋭角がそれぞれ等しい』という
ひとつひとつの事実を示した後、それを組み合わせて『二つの直角三角形は合同である』と示しますよね。
デカルトはこの
合理的な検証法によって、『この世界における疑いようのなく再現性のある事実』を求めたわけです。

ちなみにこれは、
方法的懐疑という名前がつけられています。覚えたら女の子にモテモテなので100回ノートに書いて覚えておきましょうね。僕は親に心配されましたが。
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しかし、この方法的懐疑を世界に対して使ってしまうと、とんでもないことになってしまうんですよね……
なにせ、少しでも疑わしいところのあるものは全て排除されてしまうわけですから。
皆さんは、お誕生日パーティでたくさんの友達に囲まれて直径5mのケーキに問答無用で突っ込まされたのに、
朝起きたら全て夢で、友達なんて一人もいなかった……なんて経験はありませんか?
つまり、今あなたがいる世界も夢の世界ではないと言い切ることは出来ないわけですから、
この世界は存在しないのではないかと暫定しなければならないんですね。

そんなのめちゃくちゃだ!もうデカルトがなんとかどうでもいい!とキレて、全裸で繁華街を疾走したくなる気持ちはすごくわかりますし僕も実際によくやりますが、デカルトも偉人です。ここで
『【悲報】この世界、実は存在しなかったwwwwwwwwwwww』なんて気が狂った理論を提示して終わりではないんですね。

実は、疑う対象は大切ではないのです。彼は『疑う』という行為自体に意味を見出しました。

自分が知覚するものが真実であるのかどうか疑うことができる。
疑うということは、意識があるということだ。
もし意識があるならば私は存在するはずである。
だが私は、世界にはまったく何もなく、天も地も精神も物体もないと、自分に説得した。
それゆえ私もまた存在しない、と説得したのではなかったか?いや、そうではない。
私が自分に何かを説得したのなら、確かに私は存在したのである。

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確かに、方法的懐疑をこの世界に対して用いれば、
この世界の存在さえ疑うことができます。
しかし本当にある日突然この世界が消えたとして、
『あれ、この世界消えたんじゃね?』と「疑う」ことができるのなら、あなたは自身の意識を通して懐疑していることになりますよね。
すると、
『意識はあるのに存在しないのはおかしい』と、自分が存在しないことに疑わしさが生じ、
自分が存在しない可能性を排除できるのです。

たとえこの世界のすべてが嘘だとしても、自分の存在だけは否定しえない……なんだかロマンチックですね。

デカルトのこの方法的懐疑をはじめとする、論理的に哲学するという方法は、その後の哲学に間違いなくおおきな影響を与えました。

哲学だけではありません。「AってことはBなわけだから、BならばCなんじゃないか?」という思考回路、
つまり私たちの日々の考え方にも大きな影響をおよぼしているんですね。
そういった理由から、『歴史上で最も大きな影響を与えた人物ベスト100』では、ルネ・デカルトが49位にランクインしています。

さあ、長くなってしまいましたがいかがでしたでしょうか!
『私ってほんとに存在するのかな……?気になって授業中しか眠れない><』というあなたは、今日から授業中だけでなく休み時間も眠れるようになることでしょう。

今回のようなガチの解説だけでなく、かる~い感じのコラムも投稿していく予定なので、よければぜひ読者登録お願いしますっ!

ありがとうございました。